死とは何か?「昇天」は「勝天」である

死とは何か?「昇天」は「勝天」である

どうも。

ナオ氣です。

 

 

昨日のお目出度いブログから一転。

あえて、今日は「死」について触れてみる。

生きている今だからこそ書ける「死」について。

 

 

あまり「死」について、記事を書いているブロガーもそう多くはないだろう。

 

「死」とは何か。

自分なりの「死」に対する考えを書いてみようと思う。

 

こんな事を書く機会があるのはブロガーか小説家くらいだろう。言わば特権かもしれない。

自分もいつ死ぬかわからないからね。

 

今日かもしれない、明日かもしれない、来年かもしれない。

何かの教科書で『人生は「死」という終点駅に向かう列車である』と読んだ記憶があった

 

遅かれ早かれいつかはみんな「死ぬ」のだ。

 

 

 

「生」があるからこその「死」。

「死」があるからこその「生」。

 

人は普段何気ない「生」活の中では、あまり「死」について考えない。

考えたくもない。そんな人が大半なのではなかろうか。

 

 

そんな中、身近の人が亡くなった時や、著名人が亡くなったニュースを見ると瞬く間に「死」について考える。

 

「死ぬって何?」「死んだらどうなる?」

 

人生のスタートはもちろん「生まれた時」

人生のゴールはもちろん「死んだ時」

 

どんな有名人だって、どんな凡人だって、どんな生き物だってこの世にいる限り必ず通る道。

 

自分も生まれてくるまで「この世」なんて知らない。知る余地もない。

 

と言うことは、

自分は死ぬまで「あの世」なんて知らない。知る余地もない。

 

 

 

一般的には「死」は誰しもが抱えている恐怖対象だ。

 

「死」=「コワイ」

 

これが実に厄介だ。

 

でもこの「コワイ」があるからこそ、

いろんか物語が生まれる。

 

「死ぬ」事がコワくないのなら、みんな勝手に死んでるかもしれない。

 

 

この「死」については、国によって価値観が異なったりする。

 

日本は「死」については否定的だが、

ある国では「死」について肯定的だったり。

 

 

人は人が無くなるとお葬式を行う。

 

これはもちろん歳をとればとるほど、

経験する回数は増えるだろう。

 

 

自分が初めて葬儀を経験したのは、中1の時。

母型のお爺ちゃんが他界。

 

この時人生で初めて「人は本当に死ぬんだ」と実感した。

 

そして「死」についてたくさん考えた。

 

考えたところで何か答えが出た訳ではないのだが、

恐らくその瞬間は「世界で一番死について考えている13歳」だったはずだ。

 

そして翌年、、、、後を追う様に続いて親族が亡くなった。

その後も、親族、親友が何人かこの世を去った。

 

 

 

 

一体全体なんなのだ。

 

「死ぬってなんだ」

「生きるってなんだ」

 

 

もう訳がわからなくなった。

 

 

でも自分は生きている。

 

「死」に直面するたびに「死」を意識し「生」を目の当たりにする。

そして…..また「死」を忘れ「生」もいつか見えなくなる。

 

 

 

きっと「死んだ人」は死んだことすら気がついていない。ずるいよね。

 

「死んで悲しむ」のは「自分が可哀想」だから泣いている、というのを聞いたことがある。

そう。悲しんでいるのは正真正銘、生かされている我々なのだ。

 

死んでしまった側は…残念ながら悲しまない。

 

いや….もしかしたらあの世で悲しんでいるのかもしれない。

でも、そんなこと誰にもわからないんだ。

 

「昇天」と言う言葉があるが、これは「勝天」であると思っている。

 

天に昇りった後は、天に勝ってさらに上をいく。

果てしなく高き巓へと。

 

 

 

 

平成のラストスパートを畳み掛ける様に、

今年は数多くの著名人もこの世を去った。

 

一部をあげると、

 

いときんさん(享年39)

大杉漣さん(享年66)

中尾翔太さん(享年22)

高畑勲さん(享年82)

西城秀樹さん(享年63)

朝丘雪路さん(享年82)

桂歌丸さん(享年81)

津川雅彦さん(享年78)

さくらももこさん(享年53)

樹木希林さん(享年75)

 

そして今日もまた、、、、

山本“KID”徳郁さん(享年41)

 

「生きる」ということに「命をかけて」きたこの方々もやはり「死んだ」のだ。

 

まだまだこの先自分が生きている間に直面する「死」はたくさんあるだろう。

そしていつの日か自分もその「死」がくるだろう。

 

 

 

 

だからこそ。

だからこそ。

 

「生きている」うちに「生きる」ということに「命をかけて」みたい。

 

 

 

「殺すぞ」とか「死ね」とか、人に動物に全てのものに言ってはならない。

 

なぜか?

 

 

 

「自分が生きている以上、人に言う権利はない」からだ。

 

 

 

 

あなたは「死」について考えたことはありますか?

 

あなたは「生」について考えたことはありますか?

 

 

今一度自分の胸に手を当ててみてください。

 

きっと心がリセットされるでしょう。

 

 

 

 

 

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